「鯉のぼりをあげよう」子供のイベント

子供達の楽しい声

バリ島で育つ子供たちは、やはりこの緑の多くておおらかな環境を吸収しながら育っていきます。
私のいるウブドは夜になるとガムランの音楽が聞こえてきますし、昼間は法事ごとに芸能や音楽が披露されてます。そういう、素晴らしい自然と文化に育まれて育っていると思います。

バリの環境で御子息を育てる選択をした選択は間違ってなかったと思う日がくるだろうなと、鯉のぼりと一緒に子供達が遊びはしゃぐ姿を見ながら思ってました。

stand by me
昔、stand by meという映画がありました。
アメリカの田舎町で育つ子供たち4人組が、冒険をしながら、そこで出会う事件に巻き込まれながらも、それぞれの個性を見出していくという映画でした。
その背景に描かれている素晴らしい自然、そしてそこでしか見れない風景、人工物、全てが彼らを育てるストーリーの背景となってました。

ある1人の少年は、4人組で、旅に出かけたときに見た一匹の鹿の姿、その一瞬が切り取られ、枠のある絵画のように鮮明に、その神々しさが体に染み込んでいきます。その時に感じた、自然からいただいたその時の音が、自分の感性となって、心のヒダにしまい込まれていくのです。
そして、そこで起こる事件にどう対処して、一瞬どう感じたかがその子供達一人一人の将来を決めていきます。

彼らの物語を創造し育てるのは、そこの地域にある彼らを囲む自然であり、そこで行われるストーリーです。

なので、子供達にとっては、日常の中でどんな背景が自分の後ろにあるかが、彼らの心や将来の物語を作る食べ物なのです。
子供時代は、周りの全てを吸収しながら生きています。大人が考えるよりも、身体中の肌で感性を吸収しながら大きくなっていくのです。

鯉のぼりをあげようという子供達のイベントをBIDADARI MANDALAの施設で行いました。その動画を見て、その一瞬の子供たちの煌めきと歓声が、一つの物語となって、絵となって語りかけてきます。
確実にこの一ページを子供たちは、自分の食べ物にしたな、という確信が心に浮かんできます。
この写真にある緑とその鯉のぼりのエネルギー、それが私の心にも浮かぶのです。それは、鯉のぼりという日本伝統行事の継承でもあり、この動いている一瞬が宝なのです。
宝石は、鯉のぼりというものにあるのではなく、そこで切り取られた一瞬の感性にあります。

一瞬が自然の中に吸い込まれ、それは記憶され、いつか大人になった時に、いつかこの時の歓声を思い出すのです。それは宝であり、楽しいことの経験が自分の道を決める礎にもなるでしょう。
そういうことを、肌感覚を育てると表現してもいいようです。

肌感覚を育てる

ホーキング博士が、次世代の子供たちに言い残したことは、肌感覚を育ててください、という言葉だったようです。「肌感覚を育てる」とは自然から、宇宙から、人から、社会から、受けるエネルギーを肌のセンサーで感じて、言葉にならない感覚、感性をキャッチし、それを脳のどこかで処理する能力を育てることです。

人は、言葉にしてから物事を組み立て、処理していきます。しかし、肌感覚はその前のもっと大きな広い情報なのです。その情報があって、初めて言葉があります、思考があります。

人々は時々感が働くとか、運がいいとか、いう言葉を使います。それは人生を決める大きなファクターであります。それは、学校で習う知識より実社会では大きな意味を持って、人生を前に進めていきます。
だとすればその肌感覚を養うことが子供達にとって、どんなに大切であるか。
思考というものを超えた人生の節目で、楽しい方向への選択ができるように。
その子の人生にとって、属する社会にとって、地球にとって、宇宙にとって、どういうふうに進めばいいかを判断するのは、これらの肌感覚でしかできないでしょう。

この鯉のぼりのイベントを通して、楽しいストリーを想像することができました。
ありがとう、子供たち。

鯉のぼりをあげよう

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HiromibaliProducer
ほぼ30年バリ島に滞在しており、日本とバリの往復しています。またその間に海外の聖地を回っています。澄み切って透き通った蒼い色が好きです。