Ida Pandita Pangran Bandesa Manik Mas高僧のお葬式

お父さんの御葬式

ブンデサ マニック マスの最初のpendeta (高僧)から500年後の二番目のpendataのお葬式 が行われた。

そのお葬式には、軍隊も空砲を発砲するとても厳かなものだった。

その空砲の音は、パンディタが生きてきた長い生き様の歴史がその優しさや精神性とともに、空に響きわたっていた。

第二次世界大戦、独立戦争の時代を戦士として生き、その後も、ブンデサ マニック マスを民族意識の高まりとともに戦士として復興しまとめ上げ束ねたその功績は、人々の中に名を轟かせていた。

その空砲の音は、その感謝や賞賛の音であった。

炎と一緒に、その体は、空に舞い上がり、その生き様だけがあたり一面に広がっていく光景を皆が目に焼き付けていた。

 

パンディタ

戦士であり、常に僧侶であるその生前の姿は、最初に私が会った時は、寝る場所も持たない放浪の人であった。

常に外に出て、ブンデサ マニック マスの人に歴史を伝え、儀式の方法や祖先から伝わる伝説のような物語を伝え歩き回っていた。ほぼお金は持たず、しかしどこからかお布施があり、そのお話を聞きにくる人がいて迎えにくる人たちがいる。半分しょげ返ったような衣を着て、コジキ僧のようないでたちだけど、会うといきなり笑いながらジョークをいい面白い話をする方であった。ほぼ毎日どこかに出歩いていた。

そして、喧嘩があると聞くと、すぐさま言って止めようとし、村と村の喧嘩の際は、1人で行って間違われて群衆に叩かれたりしたものだった。しかし、怪我もなく何も言わず、家族は人に聞くまで何があったかさえ知らなかった。

昔からそうであったらしい。

まだ日本軍がバリを占領していた頃、このタマンプレ寺院をマス村のものにし拠点にしたいという意思に逆らったパンディタは、村を敵にまわし、日本軍に命を狙われて逃げ回ったこともあったらしい。元々この寺院の歴史はそういうものではないと、裁判し戦ったらしい。

そして、村人と日本軍に囲まれ捕まろうかという、その絶体絶命の危機の際、塀の背後に飛び込みタマンサリ寺院が祀っている「ダンヒャン ニラルタ」に命を助けてください、そして自分は今後神様の為に尽くしますと祈りを捧げたらしい。その祈りが届いて姿が相手は見えなくて逃げおおせた時から、パンディタの修行が始まった。たくさんの人々にタマンサリ寺院やブンデサ マニック マスのことを伝承し、神様の話を伝えながら、ロンタルの勉強や各地方にある神事を散々修行していった。その修行は、バリを出て、スラウシ島やロンボク島、ジャワ島にまで至っている。

タマンプレ寺院の法事ともなると、魚が干されているように、スマイルさんの実家を寝床にする人々で溢れかえっていた。パンディタのお話を聞きにくるのである。こういうのを雑魚寝というんだなと思ったものである。その方達のお食事やコーヒーを提供し、反対に彼らは野菜や果物を持ってきてくれるので、家族はそれで生活できていたらしい。

その後、manguと言われる修行僧から、2010年にやっとPandita(阿闍梨)に覚悟を決めてなられた。『その時の話は、ディクサ(灌頂の儀式)というブログに挙げている。』

 

Panditaのお葬式は、亡くなってから、2回目の満月の後に初めて火葬になる。その間、お米の殻をご遺体の下で炊き続け燻製しながら、昼間は様々な方の弔問がある。そしてどこからか、普段では聞いたこともないような楽団や歌い手や踊り手が、毎夜夜中まで音楽を奏でていた。朝は飾っているお花を毎日取り替える。

3度の棺桶のお色直しと言っていいのだろうか、その度におまじないの書いて儀式をして棺桶を新しいものに変えていく。

体を洗う儀式があるが、普通は家族が行うが、それは高僧でなければパンディタには触ることはできない。それらの儀式ごとのお供えも、曼荼羅世界、この世とあの世の全ての法を形にしシンボル的にしたお供えを100種類ぐらい用意して儀式を行う。そのお供えたちは、技師の最中にお坊さんが天と地を繋ぐためのエネルギー増殖装置の役目をする。そのお供えで世界を表現して、それらがこの宇宙自然のシンボルであるので、それらを具現化することで、エネルギーを引っ張りやすくする。

私して、チベットの死者の書にあるような、死後の世界を絵や図で表現し、迷わないように白い布に絵やアクサラ文字で描木、遺体の上に乗せて火葬するが、パンディタの場合は、たくさんの構想が少しづつ分けて皆で描き、太陽の図はクルンクン王朝の王様が描かれた。ブンデサマスは、クルンクン王朝を作った立役者でもあるので、わざわざその王が来られて太陽を描かれた。太陽はエジプトでも、王様が身につけなければならないエネルギーである。

一番のクライマックスは旅立ちのシーンで、火葬の前夜、夜中の12時に行われる。
全くの火や電気を消して、線香の煙と高僧の響かせるマントラ、皆の祈りで、死者の魂をおくる。これほど厳かなものを私は見たことがない。
異寸の光もない中、閃光の光だけがあり、静寂の中に高僧の奏でる音の響きが世界を包む、そしてそこをめがけて皆の祈りが突き抜けてゆく。素晴らしい儀式である。
この時魂はやっと、体を離れるのである。
高僧は、その前は、魂を体の中に残しておかねばならない、なるべく多くの人にその知恵を伝えるために。

次の日、パンディタの遺体は、その空砲の音とともに、そして構想たちによって描かれた死者の書(カジャン)あとともに、炎に巻かれて空に舞い上がっていった。

大きな音を立てる行列がぐるぐる回りながら、叫び声を上げながら、ブンデサマニックマスが経験してきた歴史、生きてきた人間の思い、その門徒集団に課されてきて役割と神との関係が叫び声の中に渦巻く。決して見せることのない戦士の涙が頬を伝う。
この民族の思い、精神の純粋性、神との対話、彼らの美しさが、空に駆け上がる瞬間を見た。

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ほぼ30年バリ島に滞在しており、日本とバリの往復しています。またその間に海外の聖地を回っています。澄み切って透き通った蒼い色が好きです。